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相模原事件は「二重の殺人」

相模原事件は「二重の殺人」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4115946

障害者が差別される理由はただ一つ。
生産性がない
という理由でしょう。

某有名掲示板などで、障害者の関係者等の本音を聞けば、
件の加害者の言を述べる人も少なからずいる。
事実として、
一生続く介護に悩まされるという問題はある。

これを「優勢思想がダメだ~」「皆平等だ~」という綺麗事で、健常者側の意識に対してだけ変わる事を求める事には限界がある。

健常者の差別意識は全てここに起因している様に思う。

健常者にとって、

障害者が実際の所、金銭的身体的物理的負担となってるという事実。

大昔からの差別意識は、
ここが大元で、
ここが根源なのだと思う。

負担にならないなら、
誰にもこんな差別意識は産まれない。

自分の納める税金で、彼らの医療費が支払われる事、
自分の出勤時間に車椅子が存在する事、
自分の身内に障害者がいる事、

こういう事を憤り、不満を持ち、存在を否定する人達は結局の所、「自分」という中心で話をしているので、「自分」にとって、彼らが負担だと感じる要素が無くなればいい。

つまり、皆、しんどいって事なんだろう。

仕事に通う事も負担、
仕事そのものも負担、
税金を支払う事も負担、
家族の事も負担が少なく済む様に。

とにかく皆、社会に出て、生きる事そのものが負担になりすぎていて、
他者への労わりの気持ちなんか持っていられない。
全ての事を自己責任とされて、
全ての事を内々で済まさなければ、恥で。

お金も仕事も家庭も教育も何もかも。

その上に「社会的責任」まで覆いかぶさって、全員が苦しい中で、
さらにその下にいる弱者は、手厚い保護を受けて…
いる様に見える。

自分が助けて貰いたい位なのに、労われと言われても。

と言うのが本当の本音の様に思う。

健常者にも色々ある。
能力が高く、経済基盤のしっかりした人と、
能力も並で、並の生活をする人と、
能力が低く、能力に応じた生活をする人と。

その立場の違いだけでも福祉に対する意見はきっと随分変わると思う。
もちろん、各立場でも、異論正論色々あるでしょうけど。

社会は、個人に成果を求める。
社会に対してどの位の利益を与えたのか。

毎日毎日、その評価に追われて暮らしてる。
それが金銭に還元される。
それを生活の基盤として、
その基盤で自分の家族の全てを賄いましょう。
それ以上のものを持つ事は自己責任を果たせていませんよ。

一番シンプルな社会の個人に対するスタンスでしょう。

これじゃ、そりゃ破綻します。
裕福な時はいい。
でも人はいつ何処で躓くのかわからない。
一旦病気や大きな怪我で、社会からはみ出すと、その事さえも社会は損失とみなし、
今迄通りの基盤を与えてくれなくなる。

それを、全て家庭の中でだけ賄うなんて無理がある。

突然倒れた父親が重度の障害を持ち、幼い子供が二人いる母親だけで面倒見ろって、不可能に決まってる。
でも社会は、「それに足る備えをしなかった方が悪い」となる。

じゃあ。

家族なんて持たない方がいい。
家族なんて負担だし。
伴侶が病気になったら負担だし。
産まれる子が障害を持って産まれたら負担だし、
いや、そもそも子供自体、育てにくい世の中だし、お金もかかるし、負担だし、
一人で気ままに生きる方が負担がなくていいし。


こういう風に少子化も進む。
皆が負担を嫌い、生活に苦痛を感じる事を恐れ、
皆が避けて通りたい。

だから、差別は産まれる。

自分の利潤を脅かす要素は出来うる限り排除しておきたいと考えるのは、
結局の所、負担を抱え込みたくないから。

全てを家庭の中で解決しなければならないのなら、
自分が抱えるものは出来る限り、身軽に、確実に安定をもたらすモノを手に入れたい。

だから、多分これは実は障害だけに限った意識ではない。
この加害者はきっと、深層では池田小殺傷の宅間と同じ思いを抱えてる。

手厚く保護される者への嫉妬。
エリートへの嫉妬。

自分が得られない何かを持つ者は、
憎く、殺意すら持つ。
その正当性を自身の中ではっきりと持つ。
これこそ私の中では、確信犯だという印象。

 

多く持つ者への羨望と嫉妬。
これから持つであろう者達への怨嗟と憤り。

これって、
もちろん、この加害者達の性格上の問題もあるけれど、
社会の利益を求めるだけの姿勢にも大きな問題を抱えてるんだと思う。
会社に利益をもたらせない者は「不要」


こう烙印を押されてしまったら、
もうどうやっても人生の軌道は変わらなくなる。
そういう扱いを受ける様になり、
格差が明確に生まれ、
面倒な物だと査定されて、門前払い。
結婚したい人がいてもお家柄が~等と言われて破談。

皆が負担を避けたいから、当然の結果になる。

でも、ずっとずっと、そのお家が人類の続く限り、何のアクシデントもなく、順風満帆に続くものかな?

きっと、何処かで破綻か消滅か…する。どんな家も。

家族だけで問題を解決するという姿勢そのものを疑ってかかるべきだし、
社会の利益や会社の成果主義にも、もっと疑いの目を向けるべきだと思う。

そうでなきゃ、
障害者差別は絶対無くならない。
育児に対する冷遇も、

全部どうも、この「社会貢献度」というものに起因してる様に思えてなりません。